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否定のない人生などないのでは?と思った話

人類みな、生きているだけで否定をしているような気がする。

そんなことない!私はそんな心無い人間じゃない!って言われそうな気がするけど、別に表立って否定していなくても、生きているだけで相手を否定していることになると思う。

例えば自分が「1日3食食べるのが普通」だと思っていたとして、普通に1日3回食事をしていれば、「1日1食が普通」だと考えて実行に移している人を否定しているはず。

もちろん間接的にであって、明確に口に出してはいないと思う。

でも、自分が3食食べるのは「1日1食の生活なんて有り得ないし自分にはできない」と思っているからともとることができる。

習慣がとか、親や周りに言われてるからしかなとか、そんな反論も聞こえてきそうだけど、少なくとも自分の中で「周りもそうしてるみたいだし、特に体調悪くないしとりあえずこのままでいっか」と思って採用しているはずだから、意識的にせよ無意識的にせよ否定をしているという解釈はできる。

それが良い・悪いという話ではなく、この考えに至ったのは自分の「嫌い」に目を向けた結果。

個人的に、否定をされるのが苦手。否定されるのが怖いから、当たり障りの無い発言しかできなくて、ちょっと生きにくいなと思ってた。

まあ、誰だって否定されたくはなかろうし、生活に支障が出るほどの問題でもないから適当にのらりくらりやってたんだけど。

この壁を乗り越えないといけない状況に追い込まれてしまった結果。

「そもそも何故自分は否定されるのが苦手なんだろうか?」という現実逃避にも似た疑問を自分に投げかけることに。

そこから得られた「答え」と呼べそうなものを、取り留めもなく言葉にして、テストの解答っぽく簡潔にまとめると。

「人生は否定と肯定の上に成り立っている」
だろうか。

否定は肯定の上に成り立ち、
肯定は否定の上に成り立つ。

「自分なんて何もない、可能性なんてない」という全否定は、その「全否定をしている自分」を肯定して初めて存在が可能になり。

「自分には○○という才能がある、だから必ず成功できる」という全肯定は、「その才能がなくて成功できない自分」を否定して初めて存在できる。

ポジティブはネガティブあってこそ。
光は影があってこそ。
強さは弱さがあってこそ。

どちらも同時に存在していて、どちらに目を向けるのかは自分次第。


どちらを選ぶのも自由で自分で決められる。だからこそ「今この瞬間から未来を作っていける」と言われるのだろうか。

そう考えると、強い自分を肯定して弱い自分を否定するって、なんだか矛盾してる気がする。

「ありのままの自分を愛してあげて」
って、この辺の考え方が自分の中で
腹落ちしないと難しくない?
言語化して分かったような分からないような。更に謎が深まったな。

まあでも、無意識にではあるけれど生きてるだけで誰かや何かを否定しているなら、自分の軸をしっかりもって否定していきたい。とは思えた。

がんばれ自分の脳みそ。

因みにこれ、去年(2023年)の7月にnoteに書いたもの。

確か、休みの日に喫茶店で抹茶ラテ飲みながらスマホでポチポチした記憶がある。

懐かしい。

あの時はまだ、アウトプット苦手で、でも何となくなにやってても楽しくなくて、とりあえずふと思ったことを書き起こしてみたいという欲求に突き動かされて書いてた(はず……)

まさか、こんな形で残しておきたいと思えるようになるなんて思わなんだ。

人生、ホント何が起こるかわかんないね。

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