言葉にのせるのは自分の感情やエネルギーであって、自分の思考をのせるものではない?
自分の想いを言葉に託すのではなく、自分の今あるエネルギーをのせていくような感覚?
言葉って目に見えないもの。
それを、目に見える形や何度も触れられる形に変換するのが、本であったり動画であったり音声であったり。
「自分はこう思っている」を言葉にのせるから、論争(というか争い?)がおきるのか?
エネルギーと思考ってどう違うの?って思うけど、心で感じたことを率直に言葉にのせるのがエネルギーで。
人にどう思われるのかとかこういう言い回しの方が伝わりやすいよねとか、戦略的なところに重きを置いた状態(頭で考えてこねくり回した状態?)を言葉にのせるのが思考?かしら?
この世の中、ただ単に「事実」が存在するだけで、正解も間違いもないけれど。
誰かにとっての正しさは誰かにとっての間違いになり。
誰かにとっての間違いは誰かにとっての正しさとなる。
自分にとっての「これがいい!これ最高!」は、誰かにとっての「んなわけねぇだろふざけんな」になる。
どんなにきれいな言葉にのせようが、どんなに伝わりやすいような言葉にのせようが、アンチがわくのはこういう仕組みなのでは?
嫌われる勇気って、こういう部分を指してるのかもね。
別に、積極的に嫌われにいくってのはちょっと違うと思うけど。
どんなに丁寧に接してようが、どんなに自分満たしてる状態で相手のためを思って接していようが、嫌われる時は嫌われるのである。
子供に、勉強が大切だと伝えて学歴をつけてあげたとしても、「もっと学生らしい事させて欲しかった」になるかもだし。
勉強より、色んな経験積ませてあげる方がいいよねという教育をしたとしても、「もっと勉強しろって言って欲しかった(そしたらこんなに苦労しなかったのに)」ってなるのと一緒。
ここを「そういうもん」だと受け止める。
結局、どこまで行っても「自分がどうしたいのか?」が大切で。
自分で決めて、選んだ道を正解にしていくだけなのである。
そして、その正解を誰かに押し付けるのではなく。
人それぞれの「正解」があるんだと認めて許せること。
こんな感じで生きていけるようになるために、今日も少しずつ思ったことを言葉にしていくのである。
誰かの為でもあり、自分の為でもある。(主に自分のためだけどw)
